君と僕をつなぐ欠片
喫煙騒動が幕を下ろし、以前と変わらない日常が戻ってきた。
(……いや、変化はあったな)
自分の中に大きな変化と、それを促してくれた彼女の存在が、
小田桐のなかでかけがえのないものになったのは疑いようのない事実だ。
生徒会室の自分の席で、小田桐はふと顔を上げた。
そろそろ下校時刻になるが、今日はまだ祥子が来ていない。
毎週、この曜日にはかならず顔を出していたはずなのに、と考えて、
小田桐は自分の考えを打ち消すように首を振った。
彼女は優秀な成績でありながら、さらにいくつもの部を掛け持ちしている忙しい身の上なのだ。
生徒会の手伝いという立場よりも優先しなければならない用事の一つや二つ、
あって当然と言えるだろう。
(また明後日になれば)
きっとあの扉を開き華やかな声で挨拶をしながら、彼女が顔を出すはずだから。
しかし小田桐の予想ははずれ、祥子はぱったりと生徒会室に来なくなった。
週末を過ぎて翌週の金曜になっても、祥子が立ち寄る様子もない。
あの日、ライターを受け取った祥子はいつものように「また明日」と笑って手を振っていた。
その様子に、普段と変わりはなかったと思う。少なくとも小田桐の目にはそう見えていた。
違ったのだろうか。
もしかしたら、彼女が生徒会室を避けたくなるような何かを、小田桐の言動が与えてしまったのか。
もしそうなら弁解する必要があるだろう。
小田桐のほうにそんな意図はなかったし、彼女を不快にしたのなら謝罪したい。
(いや、これはあまりに自意識が過剰すぎるな)
やはり祥子は忙しいのかもしれない。
多忙ゆえに足が遠のいているということなら、メールや電話も迷惑になりかねない。
小田桐はもっとも可能性が高そうな理由を、自分に言い聞かせた。
心に雲がかかるような不安感は、生徒会の仕事により一層打ち込むことで頭から追い払う。
そうやって次の月曜を迎えたとある休憩時間、廊下を通りすがる途中、
聞こえてきた女子生徒の会話が小田桐の耳を打った。
「昨日、松永さんが真田先輩と帰ってるの見ちゃった」
「あー知ってる。最近仲いいらしいよ、先輩の部活が休みの日は一緒に帰ってるんだって」
噂話にはしゃぐ彼女たちの高い声が、まるで耳鳴りのように響いた。
ボクシング部の休みを、生徒会役員である小田桐はきちんと記憶している。
それが、生徒会の活動と同じ曜日であることも。
(そうか……)
祥子が放課後をどう過ごし誰と帰宅するか、その選択はもちろん彼女の自由だ。
そしてそこに意見を差し挟む権利は、小田桐にはない。
わかりきったはずの事実になぜか胸が疼き、耳鳴りのような不快を感じる。
けれどその理由が、いまの小田桐にはわからなかった。
2週間がたった。
相変わらず祥子は生徒会室へ足を運ぶことなく、小田桐が彼女と顔を合わせたのはほんの数回、
休憩時間や放課後の移動の際にたまたま廊下ですれ違う、ほんのわずかの瞬間だけだった。
顔を見れば、以前と変わりない様子で笑みを浮かべ挨拶を交わす祥子に、
小田桐の落ち度から彼女が生徒会室を避けているわけではないことが確認できて安堵する。
けれど、それはつまりあの日の噂話が事実であることを裏付けただけだ。
(……何も問題はないはずだ)
一度だけ、みじかい休憩時間の許す範囲で立ち話もした。
たまには生徒会室へ寄らないのか、と以前なら何気なく言えた文句が、喉にひっかかってしまい、
忙しいのか、と遠まわしに尋ねることしかできない小田桐に、
祥子は肩をすくめ、「ちょっとだけ」と笑った。
連絡事項を伝える必要があってこちらからメールを送ったときも、いつもと同じように返事が返ってきた。
ときおりメールを交わし、校内では挨拶や立ち話をする。
(あるべき形に戻っただけだ)
祥子が生徒会の手伝いに借り出されなければ、知り合う機会すらなかったはずの彼女と、
たくさんの時間を過ごし、プライベートの話もした。
すべてが解決したいま、ようやく正しい距離に落ち着いただけなのだ。
数多くいる祥子の友人の一人、という位置に。
(……僕はいったい、何が不満だというのだろう)
彼女との間に築いた友情と信頼には、なにも変わりはないというのに、
自分はなぜ、こんなにも乾いているような気がするのか。
放課後の多忙の理由を、祥子は言わなかった。
彼女が自分から話そうとしないのであれば、こちらから無理に問いただすようなことはするべきではない。
それが正しい選択だ。そのはずなのに。